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国会における意見陳述

第146回国会 衆議院/厚生委員会議録 10号
年金改正法案等についての意見 1999年12月2日

高山参考人 一橋大学の高山でございます。

年金改正法案等について、参考人として、以下6点にわたり意見を申し上げたいと思います。

まず第1点目。高齢者をめぐる雇用環境が依然として厳しい状況が続いております。そして、今後とも好転する見通しは立っておりません。

特に、男性の60歳前半層の雇用環境は殊のほか厳しいものがございます。かつて、バブルの時期がございまして、日本経済絶好調の時期でございましたが、この時期でも、60代前半層の有効求人倍率は0.2前後でありまして、決してよかったということではありません。ですから、景気が回復すればこの60代前半層の雇用環境がきっとよくなるに違いないという想定は、少なくとも過去の実績からすると、信じることができないわけであります。ですから、この点をどうするかというのが大変難しい問題となっているということを最初に申し上げたい。

それから、定年を65歳に引き上げたらどうかという案がございます。これは、反面で組織の新陳代謝をおくらせてしまいますし、青壮年層のやる気をそいでしまう、あるいは女性、若者の雇用を抑制しかねないという問題がございます。

先日の公聴会で日経連の福岡専務理事がいらっしゃったと思いますけれども、その日経連は、65歳への定年引き上げには今もって反対でございます。どうここの調整をなさるのかという問題が残っているというふうに思います。

それから次に、受給開始年齢を65歳に引き上げますと、60歳代前半層、特に61歳とか62歳の人が問題になるのですけれども、この人たちの雇用環境、いわば労働力需要が非常に減退してしまうおそれが強いということがございます。

これは、60代前半層に対する繰り上げ減額の制度あるいは在職老齢年金の制度がどうなるかということと密接に関連をするわけでありますが、今回法案の中で提示されている内容に即して申し上げますと、いわば年金から雇用への補助金という形の在職老齢年金の金額が減る形になります。これは、企業の経営者にとっては、高齢者を雇うときの補助金が減るということと全く同じなんですね。ですから、そうであれば、60代前半層の人たちを今までのようにはもう雇えないという話になってしまうわけです。

仮に、では働いてもいいですよという話になって、条件が折り合っても、そのときには賃金が今より下がっているおそれが強いわけであります。そういう意味で、今のような状況のもとで支給開始年齢を65歳に上げるということは、年金財政には確かに好転という1つのプラス効果があるんですが、そのツケはだれかが負う。だれかが負うというのは、60歳前半層で職を求めようとしてもなかなかそれを手にできない人たちだということでございます。

2点目は、総給付費の伸びがどうもきつ過ぎるのではないかというのが今回の年金改正の背景にある考え方でございます。何としてもこの伸びを抑えたい。そのときに、今回その1つとして、受給開始年齢を65歳に引き上げたいという提案になっているんですけれども、それとは別の考え方もあるのではないかということです。

確かに、総給付費、大変なものでございます。これは何とかコントロールしなければいけない。手段は幾つかあるはずなんですね。本当に65歳引き上げでいいのかどうかの検討をもう少し慎重になさっていただきたいということです。

対案として、いわゆるモデル年金という言葉がございます。サラリーマンの年金でいいますと、40年勤めますと大体20万円プラスアルファくらいになりますけれども、このモデル年金を受給するために、現在、40年保険料を払ってくださいということになっているんですが、これを将来的に45年に延ばしたらどうかということでございます。

なぜこういう提案を私が申し上げたいかということを、以下説明してみたいと思います。

いずれにしても将来、給付金が大変なことになる、だれかに譲ってもらわないと給付をコントロールできない、そのときに一体だれに譲ってもらうかということです。

65歳引き上げ、みんな一律じゃないか、給付水準引き下げ、みんな一律じゃないかということなんですが、実際はそうじゃないんですね。65歳まで働くことが容易な人はいっぱいいるわけです。どこからも声がかかる。あるいは、この法案を準備した年金局長さん等は恐らく65歳まで簡単に働けるでしょう。あるいは私のような、大学院を出ていろいろな意味で声がかかってくる可能性が高い人間もいるわけです。そういう人間は、実は何も犠牲を負わないで済むわけです。

ところが、高卒で18歳ぐらいから社会に出る、40年以上働いてもうくたびれてしまった、技術革新の波が速くてそれについていけない、60歳から年金をもらいたいときにはあなたは42%減額で年金をもらいなさいというのが、実は65歳引き上げ案の意味なんです。だれが一体ツケを負うかということなんです。

ところが、この45年拠出案というのは、私は大学院を出ましたので実は30歳前に社会に出た人間ですが、45年保険料を拠出しなさいというと、これは75歳まで働きなさいということですね。事実上、私の場合は不可能だと思います。私は恐らく、この案になると年金がかなり減額になる人間なんです。年金局長さんはよくわかりませんけれども、多分彼も満たさないおそれがあると思います。

要するに、社会的に見て恵まれた人間からまず譲るという原則をどうして採用しないのかということです。だれかが犠牲を負わないと、給付はコントロールできないんです。だれから一体譲ってもらうのかという問題なんですね。場合によっては、こういう非常につらいことを国民にお願いするわけですから、国会議員の皆さんの議員年金でさえも譲っていただかなければならないかもしれません。そうして初めて、みんなが納得する話だと思うのです。そういう準備が今できていない。乱暴に65歳引き上げだと言っているのが今の状況であるというふうに、実は私は考えているわけです。それで一体いいのか。もうちょっとそこを詰めて議論しなければいけない。

現に、一律カットというような方法は、今やアメリカでもヨーロッパでももう反省を迫られているのです。一体だれが先に譲るのかということをもっと議論しなければいけない、そういう状況に立ち至っているという意味でございます。

ちなみに申し上げますと、モデル年金受給のための拠出年数、これはフランスは現在40年ですが、ことしの4月にジョスパン内閣のもとで42.5年への延長というものが提案され、検討が進んでおります。また、ドイツは45年でございますし、イギリス、オランダに至っては、何と49年でございます。日本は40年ということなんです。日本は一番寿命が長い国です。45年案というのは今回の提案の中には入っていないんですけれども、私は、やるとしたらまずこちらではないかというふうに思っているんです。なぜ支給開始年齢引き上げを先にやるのか、順序が違うというふうに 申し上げたい。

社会保険料負担は国税負担を既に上回っている。これは実は驚きをもって迎えられる事実でございます。公租公課の中では年金保険料負担が突出して重いということでございます。これも同じようにお手元の資料、図2と図3に示したとおりでございます。

これからは年をとっても社会保障制度に応分に貢献し続ける必要があるのではないかという点でございます。

日本の現在の高齢者、これは戦中戦後の苦しみを耐えてきた人でございまして、彼らの献身と努力によって今日の豊かさがもたらされたというふうに考えております。彼らが子供や孫のためにみずからを犠牲にすることを惜しまなかった、こういうことが今日の繁栄につながっているというふうに私自身は考えております。

受給開始年齢引き上げは、では全然やらなくていいかというと、私は実はそうは考えていないのです。これは最後の切り札で、とっておくべきものであるということなんです。これは、希望する人が65歳まで働くことができるような社会の実現を目指すということです。そのために必要なことを総動員でやるということです。適切な諸施策をすべて進めるということです。その成果を見定めた上で、受給開始年齢の引き上げということを実施したらどうかというふうに私は申し上げたいわけです。

あわせて、この引き上げ問題の中で非常にみんなが不安に思っていることは、では繰り上げ減額で60歳から年金をもらうときに自分の年金はどうなるんだ、そういうことに関する答えが今ないということです。今回の法案の中には、2013年に至って支給開始年齢を上げるときの直近の生命表を使いましてこの減額率を定めたいということになっているんですが、一体それが幾らになるかわからないわけですね、今のやり方では。せめて最新の、直近の生命表を使ったらどのくらいの減額率になりますよというぐらいの情報は与える責任があるのではないかと思うのです。

これを私が目の子で計算しましたところ、仮に60歳繰り上げ減額だったら25%ぐらいの減額でいいのではないか。42%減額は明らかに懲罰的です。早く年金をもらうやつは犠牲をそれだけ余分に払ってもらうという、懲罰的な考え方が今あると思います。一体それで いいのかということです。

それから、きょうの本題であります年金資金の運用問題につきましては、これは、先ほど加藤参考人がおっしゃった意見に私は全面的に賛成でございます。公的運用にはポリティカルリスクが伴って、これを避けることはできません。これは世界の常識でございます。特に問題なのは、運用に失敗してもだれも責任をとらないということです。民間の企業だったら、財務の担当者が失敗したらみんな責任をとってやめていくわけですね。あるいは、自分の財産を差し出すようなことになる人もいるわけです。そういうことを、公的にやったらだれもしないわけですね。そして、そのツケは結果的に、先ほど加藤参考人がおっしゃったように国民に回ってくるということなんです。

私は、アメリカのやり方がベストだとは思っておりませんけれども、次善の策として、アメリカのように全額国債の購入を義務づけたらどうかというふうに思っているんです。そうしたら、今の法案の中にあるあの難しい仕組みは、実は一切不要になるんです。

現在の法案の中に、年金資金運用基金をつくって、その中に投資理事会をつくる、あるいは運用委員会をつくるとか、自家運用のための制度を今度は整備するとか、いろいろ具体的に書いてあるんですけれども、例えば株式運用なんかすると、かなりの手数料を払わなければいけません。いろいろな組織をつくるごとに、それだけ役人の数をふやさなければならぬ。小さな政府と逆行する考え方なんです。むしろ国債運用に徹すれば、アメリカ並みになって、このようないろいろな新しい機関は一切不要になるわけです。

私は、公的運用がうまくいくという話を信じることができませんので、ぜひこの点はあわせて検討していただきたいと思います。

あと2点だけ申し上げます。

5番目ですが、厚生年金基金の代行制度は廃止するのが望ましいと考えます。その際、代行相当分の積立金は厚生年金本体に移管し、代行しなかったというふうにみなしをいたしまして、移管積立金は免除保険料の元利合計と同じ額にいたしまして、利回りは、厚生年金本体と同じ、資金運用部預託利回りとすればよいというふうに考えます。

それから6点目は、日本版401Kの導入が今問題になっておりますけれども、今のような財政状況あるいは景気を見ますと、税収中立性というものを確保する必要性が高いというふうに考えます。そうした中で、運用収益課税は残すべきではないかというふうに考えております。

また、窓口として国民年金基金連合会を使う案が出ておりますけれども、これは全く不要だというふうに考えております。

以上で私の陳述を終わります。どうもありがとうございました。(拍手)

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