国会における意見陳述
第147回国会 参議院/国民生活・経済に関する調査会会議録 03号 少子化の進展と社会保障負担のあり方等についての参考人意見 2000年3月1日
参考人(高山憲之君) 一橋大学の高山でございます。
本日は当調査会にお招きをいただきまして大変ありがとうございました。意見陳述できることを大変光栄に存じます。
きょうは、少子化の進展と社会保障負担のあり方等につきまして、以下、大枠で7つの問題について意見を申し上げたいと思います。
1番目の問題、少子化をめぐる3つの問題、2番目、出産時及び子育て期における現金給付の追加・拡大、3番目、これからの日本経済、4番目、社会保障をめぐる最近の事実、5番目、社会保障財源の調達、6番目、年金財源及び給付調整、7番目、介護や高齢者医療の財源問題、以上でございます。
まず1番目の問題、少子化をめぐる3つの問題でございますが、1点目として、少子化と高齢化は質的内容が全く正反対であるということを申し上げたいと思います。
御案内のように、最近では少子高齢化という言葉が2つ対になって使われておりますが、意識としては従来の高齢化社会あるいは高齢者対策の延長線上でこの問題をとらえているというふうに私自身は理解をしておりますが、それでいいのかということの問題提起でございます。
高齢化というのは、高齢者の数がふえること、そのために年金財源をどうするか、介護のための財源をどうするか、お金の問題ですね、あるいは高齢者の医療をどうやってファイナンスするか、介護のためのマンパワーをどうするか、介護のための施設をどうするかというような形で、いわば人、物、金が足りない、不足している、それをどうやって整備していくかというそういう問題でございます。経済的にはこれはまさに供給が足りないという面の話でございます。ですから、どうやって供給面を整備していくかという話なんですが、少子化は実は全然内容が違うわけです。
産婦人科医さんが、どうもお客をなかなかとれないようになったと。かつて200万人1年間に生まれたんだけれども、今は120万人しか生まれない、将来どうも100万人切るのではないかというような話、あるいは幼稚園の幾つかが廃園に追い込まれている、あるいは小学校、中学校で教師が余っている、あるいは大学はそのうち冬の時代になるだろうというような話でありまして、こちらはもうお金も人も物も全部余っているという話であります。これは供給超過の話なんです。どうやってこの部門に配置されているお金や設備あるいは物をほかの部門に配転していくか、あるいはそれを廃棄するかというような問題でありまして、少なくとも対策の方向は正反対だということでございます。
ですから、問題意識をシャープにするためには少子高齢化という言葉はもう使わない方がいいのではないか。高齢化というのはわかり切ったことです。ですから、これからは、より問題を鮮明にするためには少子化社会への対応というふうにはっきりと純化した方がいいということが私の申し上げたい第1点目でございます。
2点目、少子化は子供をめぐる数量の問題だけでなく質の問題でもあるということであります。少子化、子供の数は確かに少なくなるんだけれども、大人や親が子供を大事に育てて質を上げれば少子化社会は怖くないんだ、どうにでもなるんだという意見が今までどちらかというと多かったような気がします。ところが、最近報道されているものは、実は量が減ることによって質も低下しつつあるのではないかというお話でございます。
経済発展に伴い、日本は豊かな社会になりました。それぞれの家庭がそれなりに小金持ちになったということであります。我々が育った子供時代というのは、親にこれを買ってほしいと言ってもなかなかそれは親はできなかったわけです。いろいろなそういうお金がないことを通じて、物事に耐える、あるいは欲望をコントロールするということを子供のうちに我々は学んできたわけなんですけれども、今の子供はどうもそういう機会が余り与えられない。そんなに待たずにして親が物を買ってあげるようなことをやっているわけです。耐える力がなくなっている。
あるいは、高校や大学入試はもう一変しております。そんなに勉強しなくても高校、大学に進学できるようになりました。勉強しなくても大学生になれる、そういう時代になってしまったわけです。これは、受験をめぐって競争圧力が低下したことでございまして、残念ながら、日本人の潜在的な能力がそんなに私は変わったと思っておりませんが、社会に出るに当たってそれまでに本来身につけなければいけない学力なりいろんなものが身につけないという形で終わってしまっている。要するに、競争圧力が低下したために潜在的な能力を十分に開発しないまま社会に出てしまう人がふえてきたということではないかと思います。
大人がいろいろ忙しいとかいうのは、都合がありまして、子供を厳しく鍛えない、育てないということをやっている。どうも大人が自分の都合を優先して手抜きをしているんではないか。それが子供に回っている。最近でいえば、子供の社会力という言葉がございます。それが著しく低下しているんではないかという警告もございまして、少子化の問題は、単に量の問題だけではなくて質の問題だということについてぜひ理解を深めていただきたいと思います。
3点目、少子化対策に第3の柱をということでございます。
少子化対策、基本的に今動いているのは育児休業制度と保育園の制度でございます。あといろいろあるんですけれども、事実上機能しているのはこの2つだと私は考えているんですが、国全体が少子化問題を重要視してこれに対する対策が必要だというときに、目に見える形で何かもうちょっと違うことを打ち出す必要があるのではないか、第3の柱が欲しいところでございますけれども、これは何にしたらいいかということで今意見が必ずしも一致しておりません。
私は、今少子化の原因、基本的には晩婚化なり非婚化ということでございまして、なかなか女性が結婚しようと思わない、あるいは母親になろうとしないということでございますが、その背景には、やはり男の働き方、日本人の男の働き方があるんではないかと。
少し外国に行って周りを見るとわかるんですが、日本人の男性は確かに異常な働き方をしているというふうに基本的に理解することが重要なんではないかと思うんです。
家庭を顧みず、あるいは家庭を犠牲にすることをも甘受しながら仕事あるいは会社に自分を一生ささげるようなことをやってしまっている。そのような働き方ゆえに子育てというものが母親の肩に異常に重くかかってしまっている。
しかし、昔と違いまして、夫の稼ぎだけで世帯を切り盛りしていくということがなかなか容易でなくなってきております。共働きをするとか、あるいは子育てをしながら仕事も継続するとかいうようなことをせざるを得ない状況に追い込まれている。
しかし、仕事をしようとすれば、女性は男と同じように働きなさいと言われる。ところが、その男が異常な働き方をしているために、なかなかそういうところに仕事と家庭の両立というのができないわけであります。
そういう意味で、日本人の現在の男の働き方が異常なんだ、そういう観点から、男の働き方をもうちょっとまともな形に変えれば女性ももっと仕事と家庭の両立がしやすくなるということで、いろいろな施策が必要になるのではないかというふうに思っております。
2番目の問題に移ります。
出産時及び子育て期における現金給付の追加・拡大ということでございます。
ことしの予算案に児童手当の対象拡大が盛り込まれておりますが、現金給付を拡大しても直ちに出生率の上昇につながらないんではないかというような意見等ございまして、この問題どう考えたらいいかということでございますけれども、基本的に日本の戦後というのは、子供は勝手に産んで育てなさいというような社会であったと思います。子供を産んで育てることに社会全体が敬意を払い感謝をするということがほとんどなかったわけです。そういう意味で、何か仕掛けを変えるという意味では、シンボリックな内容でもいいですから何かしなければいけないというところに今あるんではないかというふうに私自身は思っております。
直ちに出生率の上昇に結びつかないかもしれないけれども、少なくとも出産、子育てをめぐる私的な負担を軽減するということで、子供を産み育てている人とそうでない人の間の負担格差を縮小する、あるいは、後でまた説明をいたしますが、社会保障給付というのは専ら高齢者に集中しておりまして現役のところにはほとんど届いていないようなそういう形に日本はなっているんですが、そういう姿を一部是正するという意味でも、やはり出産、子育てをめぐる現金給付というのは大事じゃないかというふうに思っております。これが結果的には仕事と子育ての両立を支援するという形になるんではないかというふうに思います。
2点目、主要財源なんですけれども、従来保険料に安易に依存するということがあったというふうに思いますが、今後は保険料にそんなに安易に依存できないんではないかということでございます。これも後でもう少し詳しく説明したいと思います。
3点目、出産育児一時手当金、育児休業手当、児童手当、奨学金は増額する必要が私は大きいというふうに考えております。
4点目、年金制度の中に出生給付を創設する一方、児童手当も年金制度の一給付に改めて、年金制度に対する若者の理解を深めたらどうかということでございます。
これは、年金制度は若者にとって非常に人気のない制度に変わっているんです。しかし、若者の理解あるいは支持がない限り年金制度を安定的に維持していくことができません。どうやって若者の支持や理解をとりつけるかという点で、現金給付の体系の再編成をする必要があるのではないかということでございます。
5点目、児童手当の増額、対象拡大に必要となる財源につきましては、所得税、住民税における児童扶養控除を廃止し、その増収分を充てる方向をまず検討する必要があるということでございます。
現在、児童手当の予算は年間1780億円程度でございますが、所得税、住民税における児童扶養控除の金額は1年当たりで恐らく1兆5000億前後あると思います。このお金をとりあえず児童手当の増額、対象拡大に使うことは検討に値すると思います。現にイギリス等ではこういうことをやっているわけでございます。
6点目、育児休業期間中の保険料納付免除によって失われた財源は、別途租税によって補てんしてはどうかということでございます。
現在、本人負担分について年金や医療、雇用保険料を免除しております。ただし、事業主負担分が免除の対象になっていない。これを今度の新しい制度のもとでは事業主負担も含めて免除をしようという形になっておりまして、それ自身は望ましい方向だと思うんですが、ただ、免除するだけで財源手当は別途していないんですね。これをやはり、その免除した分について何か財源の穴埋めをするということが必要なんではないか。これはやはり私は租税という形でやることが適正だというふうに考えております。
7点目、児童の医療費窓口負担は軽減し、高額療養費還付金も児童用に低額の特別枠を設ける必要があるということでございます。
少なくとも、子育てに対する支援ということを考える場合、その被保険者本人ではなくて、児童の方の負担を軽減するということについて発想を転換した対応というものが求められているのではないかというふうに思います。
8点目、保育費負担を軽減するためには保育切符、保育バウチャーを導入し、それを保育料やベビーシッター代等の一部に充当することを認めたらどうかということでございます。
これは、保育費を税制の中で所得控除するとか、いろいろアイデアはあるんですけれども、基本的には保育所の規制緩和やベビーシッター等をもう少し活躍し得るような形で体制を整備するためには、やはり保育バウチャーは極めて有効な手段であるというふうに考えております。
9点目、教育費負担を軽減するためには、高校レベル以上について供給サイドにつけている教育補助金を原則として全額奨学金化し、需要サイドから流すことを検討すべきである。
これは、教育費予算というのはほとんど供給サイドにつけているんですね。お金は供給サイドに流している。大学であれば、定員が何人いるかというような、あるいは教官が何人いるかということで、それによって例えば東京大学には幾ら、一橋大学には幾らとつけているんですけれども、供給サイドから流しているんですね。それをやめて需要サイドからつけるということに切りかえる。全部奨学金に変えてしまう。ただし、授業料は目いっぱい払ってもらう。それで本人が後から返すという形に変えたらどうかということでございます。
3番目の問題、これからの日本経済ということでございます。これは人によって考え方は違うと思います。事実の方から申し上げます。
まず1点目、現役で働いている人の数は、金融システム不安等がありまして、実は1998年から減り始めております。これは、厚生年金の被保険者数だとかいろいろ調べてみると明らかでありますが、数が現に減っております。21世紀に入りましても、少子化の進行がありまして、現役で働いている人の数は恒常的に減っていくということでございます。
これは今までの日本経済とは正反対の動きであります。今までは右肩上がりでありまして、働いている人の数はふえ続けるということが当たり前の時代だったんですね。今度は減り始めて、しかも減り続けていくという時代に入るわけですから、従来の想定が崩れるということであります。ですから、今までどおりの発想ではだめだということをここは物語っている事実でございます。
2点目、年収が上昇するグループは少数派にとどまり、多数派はよくて横ばい、むしろ年収低下になるおそれがあるということでございます。
これは、今雇用リストラのあらしが吹き荒れておりまして、その中でいろいろな試みがなされておりますけれども、どうも日本はアメリカ的な雇用管理の方向、そっちに全面的に切りかわるかどうかは別として、そちらに変わりつつある。業績主義の色彩が極めて濃厚になりつつあります。業績主義という形が一般化すれば従来のような年功序列型の賃金体系というのは崩れるわけでありまして、そうなると、年とともに月給が上がっていくというシステムはもはや維持されないということであります。
年収が上昇するグループはそういう意味では少数派、これはパーセンテージはよくわかりませんけれども少数派でありまして、多数はよくて横ばい、むしろ月給なり年俸が減っていくという人たちが実は多いということになるおそれがあるということでございます。
これは、将来的に見ると賃金総額が必ずしもそんなにもうふえていかない時代に入ったということですね、入ったと。それで、働く人の数も減り始めたし、その人たちが手にする所得も全体として必ずしもふえていかない、そういう時代に入ったということでございまして、これは社会保障財源を考えるときに、今まで何でもかんでも現役に負担してもらえばいいという形で動いてきたと思うんですが、そういうような過程が、あるいはその方策がもはや現実的でなくなりつつあるということを申し上げたいわけでございます。
4番目の問題、社会保障をめぐる最近の事実でございますけれども、これはもう既に御案内のとおりです。
1点目、社会保障給付の65%は高齢者向けの給付でございます。この割合は、かつてはもっと低かったんですが、将来さらに上昇していくということでございまして、社会保障給付というのは基本的にはその大半は高齢者向けの給付であるというのが日本の現実でございます。
2点目、30歳から49歳層は所得再分配あるいは社会保障財源の出し手となってみずからの所得を減らしております。再分配後所得で見ますと、最近における高齢者のポジションというのは50歳未満、30代、40代の人よりも既に高くなっております。所得を出しているのはそういう30代や40代なんですが、その出し手と比べて最終的な再分配後で見ますと高齢者の方が所得ポジションがよくなっている。これは、一部に社会保障給付の行き過ぎがあるのではないかというふうに若者が考えざるを得ないところに立ち至っているということでございます。
3点目、社会保険料負担は国税負担を既に上回っているということでございます。
これは、昨年度の当初予算ベースでございますが、社会保険料負担は総額で54兆5000億円でございます。国税総額は当初予算ベースで47兆1000億円でございます。税金の問題は国民的な大関心事項でありまして、毎年のように物すごい議論があるんですが、社会保険料負担をめぐってはほとんど議論がないんです。ないんですけれども、実際はもう金額的には国税負担を上回っている。議論をしなくていいのかということを申し上げたいわけでございます。
4点目、公租公課の中では年金保険料負担が突出して重いということでございます。
これは、高い高いといって不満の高かった所得税、現在1年間で15兆円ぐらいであります。あるいは法人関係者の不満が強い法人税、これは1年間に10兆円程度なんですね。あるいは消費税、これは地方税負担、地方財源も含めまして消費税5%分で12兆8000億円です。ところが、年金保険料、公的な保険料だけで実はもう30兆円近いんですね。あるいは、医療保険料17兆円台です。いずれも所得税や法人税の負担を上回っております。特に、社会保険料の中で事業主負担分は29兆円です。法人税負担は10兆円。地方の法人事業税、4兆円台です。事業主負担の社会保険料というのは物すごい金額に既になっているということなんですね。この事実をどう考えるかということでございまして、以下、どうするかということについて私の意見を述べていきたいと思います。
5番目の問題、社会保障財源の調達問題ですけれども、日本の社会保障はもう既に負担を分配する段階に立ち至っていると思います。この負担問題を緩和するためには、やはり今後とも経済成長を続けていくことが政策的に重要でありまして、経済成長を阻害する割合の小さな財源を見つけるということがそういう意味では重要だというふうに思っております。
2点目、今後における公的負担増は、現役組、高齢者、国が等分に引き受けるということを新しい負担のルールとして設定する必要がある。これからは、年をとっても社会保障制度に応分に貢献し続けることが求められているというふうに考えます。
3点目、日本の高齢者は戦中戦後の苦しみに耐えてきた人々でございます。彼らのささげた犠牲と献身によって今日の豊かさが築き上げられたというふうに思っております。日本の今の高齢者は、子供や孫のためにみずからを犠牲にすることを惜しまなかった人々でございます。その子供たちが今どうなっているかということでございますが、この不況のあらしの中でボーナスをカットされ、月給をカットされ、雇用リストラの対象になっておりまして、そういう不安に今おびえているというのが実際です。
今、日本の高齢者はみんな子供や孫がいます。その子供がどうなっているかというのは実はよく御存じのはずなんですね。私は、彼らは犠牲と献身という高貴な心を今もって失っているとは思っておりません。その直観に訴えて、多少とも譲歩をお願いすることをすべきなのではないかというふうに思います。いたずらに世代間の利害対立をあおることは必要ありません。親子の問題に換言してこの問題を議論する必要があるのではないかというふうに思います。
4点目、今後主要財源として増税することが望ましく、また増税が可能だと思われるのは事実上消費税に限られるということでございます。
これは、所得税、法人税を増税していいではないかという意見が一部にございますが、確かに今のままでも景気さえよくなれば法人税や所得税収は上がります。ただ、構造的に増税できるかというと、私はその余地は極めて限られているのではないかというふうに思います。そういう意味で、残された財源は消費税しかないというふうに思います。
ヨーロッパの経済統合に当たり、ガイドラインとして付加価値税15%ということになっております。現在、ヨーロッパで付加価値税15%以下の国はございません。みんなこれを上回っておりますけれども、そちらで何とか折り合いをつけているのがヨーロッパの実情です。
日本もこれから消費税の税率を上げることが求められると思いますけれども、問題は、どうやって上げていくかということであります。それが五点目でございますが、消費税は、社会保障財源としてばかりでなく国の一般財源や地方財源としても期待が高い。そういう意味で、増税をめぐって知恵比べの時代に入ったというふうに考えております。
これは、昨年及びことしの国の予算総則を見ますと、消費税の使途については福祉目的に限定するということになっております。中身は、年金と高齢者の医療と介護だということになっております。福祉はこの3つしかないのか、それはよくわかりません。私は、なぜ子育てがあの中に入っていないのか不思議でなりません。なぜ子育てを除外してしまったのか。
これは、国の予算総則ではそういう縛りをかけたんですが、実は消費税財源の40数%は地方財源になっているんですけれども、地方財源については何の縛りもかかっておりません。国の予算総則ではこの3つに使途を限定するということになっているんですが、地方財源にはこの縛りがかかっていないんですね。それでいいのかどうかということもあります。
それから、そもそも消費税というのは福祉財源に限定すべきものであるかどうかについてももっと議論する余地があると思います。なぜ教育や科学技術の振興に消費税の財源を使ってはいけないのか、なぜ環境保全や維持のために消費税を使ってはいけないのか、これは大問題であります。なぜそれをあらかじめ封じてしまうのかということであります。やはり国の一般財源としても消費税というのは残す余地が高いのではないか、あるいは地方から見ましても、今後とも有力な財源は消費税しか事実上ないんですね。それで、地方に消費税を回すということをやはり考えざるを得ない。いずれにしても、知恵比べの時代に入ったというふうに申し上げるしかないというふうに思います。
6番目の問題は、年金にやや問題を特化させていただきますけれども、従来段階的に保険料を引き上げてまいりました。これが今後労使によって拒否される可能性が極めて高くなっていると思います。
先ほど来、日本経済の現実を申し上げました。サラリーマンの絶対数がふえ、しかも給与は総体として余りふえていかない。そうした中で、いわば賃金税としての保険料を上げていけるのかということであります。自分の手取り所得を減らしてまで社会保障財源の拠出に賛成するという余地は非常に限られてきたというふうに思っております。
そういう意味で、段階的な保険料の引き上げというのはなかなかもうできなくなった。しかも、経済政策的に見ても得策だとは言えない段階に入っていると思います。これが1点目でございます。
2点目、国民年金の保険料は定額制であり、逆進性が極端に高いという点でございます。
3点目、国民年金の保険料を引き上げますと国民年金制度の空洞化がさらに進むおそれが強いというふうに思います。
4点目、社会保険方式に固執し続けますと、基礎年金の給付カット、具体的には水準切り下げ、物価スライドの見送り、受給開始年齢のさらなる引き上げ、高所得者への給付制限等、この給付カットに着手せざるを得なくなると思います。
これは、社会保険方式に固執しますと保険料を引き上げていかざるを得ないんですけれども、それが事実上できないということになりますと、給付を大胆に見直すしかないということでございます。
5点目、基礎年金を税方式に切りかえると、悲願であった国民皆年金が初めて実現し、諸問題はすべて一挙に解決されるということでございます。
6点目、税方式か社会保険方式か、これは役所の人たちが好きな問題提起でございますが、私から見ると余り意味をなさない問題提起だというふうに思っております。この問題は、実は保険料の徴収ベースを切りかえるか否かということでございまして、年金目的消費税を財源とする場合、社会保険方式は維持されるというふうにみなすことができるということであります。
社会保険というのは、純粋の私的保険と違いまして、その財源である保険料の使途が限定されている。これは目的税で担保されるわけです。それから、拠出を担保にとって給付をするということがもう1つの特徴なんですけれども、これも、消費税ということであれば生まれたときからみんな払い続けるわけですから、これももう自動的に担保されるわけであります。ですから、年金目的消費税を仮に財源とする場合、社会保険方式は維持されるというふうに考えることができるわけでありまして、税方式か社会保険方式かという哲学論争を何か役所サイドはしかけようとしているんですが、極めて無意味な問題提起だというふうに私は考えております。
7点目、基礎年金を税方式に切りかえますと、従来の年金保険料を引き下げることができます。それから、従来の国民年金保険料を廃止することができます。また、ピーク時の年金保険料負担、これは従来のものでありますが、これを現行程度に、厚生年金の場合ですけれども、抑えることができます。
8点目、基礎年金の保険料徴収ベースを消費支出に切りかえると、トータルとしての国民負担には変わりがないんですけれども、個々の当事者にとっては負担が変わるということでございます。現役組はネットで負担減となります。年金受給者となっても年金財源を拠出し続けることになるということでございます。
9点目、年金目的消費税の場合、基礎年金給付、これは定額給付でございますが、これもあわせて考慮しますと逆進性が消失します。
10点目、年金給付を調整する際には、まず隗より始めよという考え方を重視せざるを得ないと思います。 これは、今、年金法案の審議が佳境にあるというふうに思いますけれども、いずれにしても将来の保険料負担が大変だ、だから給付を一部どうしても抑制するということであります。給付を抑制するということは、個々の当事者でいえば自分のもらう年金が減るということになるわけであります。一体だれの年金を減らすかという問題がまさにこの年金改革で問われている問題なんですね。その場合に、例えばこの問題を発議する年金審議会委員が率先して自分の年金を減らす、あるいは所管している年金局長さんの年金を自分から進んで減らすという体制になっているかどうかということが国民にまず問われると私は思っています
これは、民間企業でリストラをする場合、まず役員の数を減らします、あるいは役員賞与を減らし役員の給与をカットします。その上で、従業員に対して少し雇用整理をしたいとか、あるいはボーナスをカットしたい、月給をカットしたいという話になるわけです。それで、役員もそうしているのであれば我々もついていくしかないなという形になるのが普通なんです。
ところが、年金改革において給付を削る、個々の当事者の年金の給付を減らすという場合に、それを発議する立場の年金審議会の委員の年金というのは一体どれだけ減るんだということです。あるいはそれを所管している省庁のキャリア組の年金が一体どれだけ減るかということをみんな見ているわけです。私の見る限り、今回の年金法案にはその面が非常に希薄だと思っています。実は、私は年金審議会の委員でございますが、私の年金額は支給開始年齢を65歳に引き上げられてもほとんど減りません。私の年金は減らないんだけれども皆さんの年金は減らしますということを今提案しようとしているというふうに私は思っているわけです。
これは、国会議員の皆さんはこの議論をまずするわけでありまして、まげてお願いしたいんですけれども、皆様が受ける国会議員の互助年金がありますけれども、これについて何も言及することなく、年金額を将来このような形で調整します、こういう人たちには譲ってもらいますという形で議論しているだけでよろしいんでしょうかということを申し上げたいわけであります。これはまげて皆さん真剣に議論をしていただきたいということでございます。
それから、7番目でございますが、介護や高齢者医療の財源問題ということでございますけれども、これは私の必ずしも専門ではございません。
ただ、基礎年金を税方式に変えるとそれが介護や高齢者医療にも及ぶのではないかという意見がございます。皆同じで十把一からげに議論していいかということですが、実は、年金は若いときに保険料を払って年金受給者になったら保険料を負担しません。ところが、介護や高齢者医療は年をとっても保険料を払い続けるということが可能なんですね。そういう意味で、質的にやはり内容が違うのではないかということを申し上げたいんです。
社会保険方式を介護や高齢者医療について維持する場合には、高齢者の保険料負担分を年金給付から天引きすることができます。その分だけ現役世代の負担は軽減されるわけでございます。
あるいは、税方式に切りかえ、消費税を増税しますと、物価が上昇し、年金にはスライド規定が発動されますので、年金は基本的にはその物価上昇分だけ引き上げられるということでありまして、年金受給者のネットの負担は大幅に軽減されてしまうということでありまして、年金と介護、医療、それぞれ別の問題を抱えていて、同じ次元で同じように議論できないのではないかというふうに申し上げたいということでございます。
以上で私の意見陳述を終わります。どうも御清聴ありがとうございました。